last-modified: 2018-07-21 (土) 21:04:59 (2077d)[変更箇所]
subtitles_subtitle_text_NCS_03_Ita_Intro.bik_10 彼は我々兵士に向かって語った。「諸君、私は諸君らを世界でもっとも豊かな平野へ導こう。そこで君たちは名誉や冨、栄光を見い出すだろう」 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_03_Ita_Intro.bik_11 兵士たちはそれを聞いた。だが容易にはそれに耳を傾けようとはしなかった。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_03_Ita_Intro.bik_12 彼らは長い間、栄光や希望といったものとは無縁だったのだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_04_Ita_Outro.bik_01 我々は彼の名を喝采した。我々はフランスのために喝采した。勝利のために。我々は生きていたのだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_04_Ita_Outro.bik_02 今や我々は彼に心酔していた。我々の「小伍長」を。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_04_Ita_Outro.bik_03 しかしオーストリア人は違っていた。彼らはこのコルシカ人を恐れていた。彼らの誇りは、無骨な男によって打ちのめされたのだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_04_Ita_Outro.bik_04 傲慢さは痛めつけられ、そのゆえに彼らは和平を結ぶことを余儀なくされた。今しばらくのあいだは。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_04_Ita_Outro.bik_05 私には聞こえた。まるでナポレオンが隣にいて話しかけているように。「大地から足が離れ、空に舞い上がったようだ」と。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_05_Egy_Intro.bik_01 それはあらゆる場所において、探検の時代であり、征服の時代でもあった。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_05_Egy_Intro.bik_02 フランス人は世界を旅した。教えるため、学ぶため、交易のために。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_05_Egy_Intro.bik_03 しかし常にイギリスが我らを脅かしていた。英国商人は世界中を抑えており、彼らの船は我々の息を詰まらせるほどだった。英国が富を蓄えるほど、フランスは害を被っていた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_05_Egy_Intro.bik_04 夏の盛り、ナポレオンはエジプトへ上陸した。オリエントの富はいま我々のものになった。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_05_Egy_Intro.bik_05 エジプト。ここでは砂が囁き、古代の勝利と栄光を物語る。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_05_Egy_Intro.bik_06 ナポレオンは、その肩に四千年の歴史を感じていた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_05_Egy_Intro.bik_07 彼は言った。「私はここに来た。為すべきことを為そう」 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_05_Egy_Intro.bik_08 しかし砂漠は過酷で人間を受け入れない。勇敢さだけでは生きていくことはできない。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_06_Egy_Outro.bik_01 エジプト。この地における勝利で、彼はアレクサンドロスやカエサルと並び立つ存在となった。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_06_Egy_Outro.bik_02 1804年12月。私はノートルダムにいた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_06_Egy_Outro.bik_03 誇りとともに、私はナポレオンがフランス皇帝の冠を戴くのを見た。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_06_Egy_Outro.bik_04 我々がこの帝冠を捜し出し、そして彼がそれを拾い上げたのだ。人々の歓呼が聞こえる… FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_06_Egy_Outro.bik_05 ヴィヴ・ランペルール!(皇帝万歳!) FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_07_Eur_Intro.bik_01 フランスは戦火に包まれていた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_07_Eur_Intro.bik_02 ナポレオンはフランスに偉大なるものを与えた。彼はフランスに全てを―正義を、法を、栄光を与えた。変革されなかったものは何もない。彼の法典は、正義をあらゆるものの現実とした。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_07_Eur_Intro.bik_03 私は皇帝が成し得たことを見た。彼は逆らえぬ嵐のごとく、全てを一新した。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_07_Eur_Intro.bik_04 フランスの宿敵は彼に対し陰謀を巡らせた。イギリス、オーストリア、ロシア。そしてその追従者どもだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_07_Eur_Intro.bik_05 ナポレオンが消え去れば、彼の点した火も消える。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_07_Eur_Intro.bik_06 我々の仕事は彼らによって停滞した。1805年、ナポレオンの帝国たるフランス全土は戦争のために備えていた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_08_Eur_Outro.bik_01 我々の敵は、フランスに勝利などありえないと言った。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_08_Eur_Outro.bik_02 それは誤りだった。彼らは問うだろう、一人の人間にこんなことが出来るのかと。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_08_Eur_Outro.bik_03 私は答えるだろう、その人間がナポレオンならばと。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_08_Eur_Outro.bik_04 ナポレオンは彼らの都市が陥落していくのを見た。彼が予期するのは勝利だけだった。いや、勝利が彼の元にやってきたのだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_08_Eur_Outro.bik_05 ナポレオンの意志、ナポレオンの野心は、世界中を燃え立たせるかのようだった。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_01 ロシアの冬。未亡人の心よりも凍てついた寒さ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_02 兵士たちは鞍上で死に、馬は兵士たちの横で死んだ。大陸軍は壊滅した。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_03 ハゲタカどもは群れ集った。我らの敵は第六次対仏同盟を結成し、ナポレオン一人を、たった一人を敵とした。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_04 我々は戦った。だがまだ十分ではなかったのだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_05 1814年4月、ナポレオンは玉座を捨てた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_06 時は止まったかのように見えた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_07 彼はエルバ島の小領主となり、十ヶ月が過ぎた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_08 1815年の春、ナポレオンは帰還した。彼はパリへ行進する以外の道を選ばなかったのだ。役立たずの国王は逃げ、運命は目を開いた! FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_09 ヨーロッパは再び我々に立ちはだかった。彼らはナポレオンを「世界の安寧を乱す敵」だとして、我々に戦いを強いた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_10 皇帝は計画を練っていた。イギリスとプロイセンが合流する前に北方で各個に撃破せねばならないと。なんとしてもそれは成し遂げられなければならない。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_11 イギリス軍はブリュッセルへと向かう途上、ワーテルローにあった。フランス軍の大砲と銃剣が、ここで勝利をもたらすだろう。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_12 前夜から雨が降っていた。ナポレオンは乾いた地面を望んだ。彼の頼みとする大砲が泥で動けなくなるからだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_13 その6月の朝、ナポレオンは我々に語った。「今日、ヨーロッパの運命が決する。この日こそ全てであり、もし敗北するならば、我らにはもう何もない」 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_09_Waterloo.bik_14 もう一度、大砲に物を言わせる時がやってきたのだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_10_Win.bik_01 ワーテルローの日暮れまでには、戦場にいるイギリス人は死んでいるか、死にかかっているか、捕虜になっていた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_10_Win.bik_02 フランスは安全になった。皇帝は誇らしげだった。彼のもっとも偉大な勝利だった。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_10_Win.bik_03 彼のような男は二度とフランスには現れないだろう。また、その必要がないように祈ろう。このような栄光は一度限りのものだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_10_Win.bik_04 多くの人間はオリーブの木陰で死に、ほんの一握りの人間だけが世界を変える。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_10_Win.bik_05 真実の栄光とは、その名を永遠に留めることなのだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_11_Lose.bik_01 ワーテルローの日暮れには、老親衛隊でさえ敗走していた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_11_Lose.bik_02 神よ!何ということが起こったのだろう。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_11_Lose.bik_03 降伏は苦々しいものだった。セントヘレナ島への流刑は思い出したくもない…これまでに刻んだ栄光でさえ酸味を帯びた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_11_Lose.bik_04 多くの人間の生き死にはオリーブの木陰からはみ出すことはない。ほんの一握りの人間だけが世界を変える。その敗北でさえも。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NCS_11_Lose.bik_05 彼は失望と恥辱にまみれたまま生きた。彼にとって何の意味があろう?かれにとって、死よりも下らない余生を送ることが。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_01_Arcole.bik_01 オーストリア人は、私の悩みの種だ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_01_Arcole.bik_02 マントヴァの包囲を中断させようとする彼らの企ては止められなければならない。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_01_Arcole.bik_03 私は戦場においてオーストラリア軍を迎撃しなければならない。今度こそ徹底的に。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_01_Arcole.bik_04 アルコレで、私は我が軍を率いてアルポーネ川を渡り、オーストリア軍の連絡線を遮断するのだ。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_02_Pyramids.bik_01 イタリアで勝利し、いま私はエジプトにいる。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_02_Pyramids.bik_02 予期していたようにアレクサンドリアは陥落した。私はムーラッド・ベイがカイロで私を足止めするために、マムルークを送るだろうということも知っていた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_02_Pyramids.bik_03 ピラミッドの影の中で戦いは始まった。はるか遠い昔のアレクサンドロスの兵士のように、わが兵士たちは私のために勝つだろう! FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_03_Nile.bik_01 エジプトだけでは不充分だ。その彼方、インドへの道こそイギリスの希望を断ち切ることに他ならない。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_03_Nile.bik_02 私は騙し、計略を行った。その結果、私はエジプトに我が軍勢を得た。しかし「不実なアルビオン」たちは他の者よりは賢い。彼らは我が艦隊が、アブキール湾において倒さねばならないだろう。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_04_Austerlitz.bik_01 私は、パリにいる売国奴に対処するため、エジプトでの戦いを中断することを余儀なくされた。しかし銃剣が私の強力な代弁者となった! FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_04_Austerlitz.bik_02 私は第一執政に就任し、そのあと私のために用意してあった帝冠を取った。ほかにどのような選択があったろうか? FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_04_Austerlitz.bik_03 私は旧きヨーロッパの具現たるオーストリア、ロシアに脅かされた。そして彼らはやって来たのだ。ここアウステルリッツで、私は彼らを止めねばならない! FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_05_Trafalgar.bik_01 ヴィルヌーヴは何も理解していない!ヴィルヌーヴは何も成し遂げなかった! FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_05_Trafalgar.bik_02 制海権なしで、どうやって英本土に侵攻せよというのか。いまなら、英国陸軍はオーストリアに動かざるを得ないというのに。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_05_Trafalgar.bik_03 ヴィルヌーヴは俸給に見合った仕事をするために、地中海へと入らなければならない。彼にでもわかる、単純な仕事なのだ… FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_06_Borodino.bik_01 英国人に物の道理を教えようと思えば、まず彼らから金を取り上げねばならない! FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_06_Borodino.bik_02 しかしロシアは公然と通商を続けた。彼らは、私がモスクワに進軍することなどないと思っていたのだろうか。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_06_Borodino.bik_03 そして現在、クトゥーゾフは地図のシミのようなボロジノで待ち受けている。しかし何の問題もなく、私はモスクワで食事を摂ることができるだろう! FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_07_Dresden.bik_01 モスクワは私の勝利を受け入れようとはしなかった。彼らは私に与えるくらいなら焼き払うことを選んだ。そしてパリにおける裏切り! FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_07_Dresden.bik_02 私は撤退を命じた。我が敵たる対仏同盟は、突然勇気を見つけたようだった。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_07_Dresden.bik_03 サン=シール元帥を救うために私はドレスデンに行き、兵士たちに真の軍人とは何かを見せてやらねばならないだろう。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_08_Ligny.bik_01 軍人として、私はライプツィヒの戦いについて冷静にならねばならない。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_08_Ligny.bik_02 よく言っても自己本位でしかないあの裏切り者たちと別れてエルバ島へ流されたのは、ある意味幸運だった。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_08_Ligny.bik_03 ナポレオンなしでフランスはどうするというのだろう?今こそ再び我々は行進し、フランス全てが武器を取るのだ! FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_09_Waterloo.bik_01 私はグルーシーにプロイセン軍の追跡を任せねばならない。ネイは敵を北方に追いやり、我々はその後に続いた。そしてここにイギリス軍とウェリントン将軍がいる。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_09_Waterloo.bik_02 スペインで彼の噂は聞いていた。優秀な将軍であると。私に匹敵するのか?今に分かる。もうすぐ… FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_SE_01_Lodi.bik_01 トリノが私の視界に入っていた。ピエモンテ人が、我が軍の前を通っていく。ボーリュー指揮下のオーストリア軍はミラノへ向けて退却していた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_SE_01_Lodi.bik_02 私は迅速に動き、ロディ近郊で彼らを捉えた。ゼボッテンドルフは戦場を読むことができ、彼は我が軍がポー川にかかる唯一の橋を渡るのを阻止するため、対岸に兵を配置している。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_SE_01_Lodi.bik_03 しかし、彼は次に何が起こるかを知ることができるだろうか? FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_SE_02_Friedland.bik_01 ベルリンを制圧され、プロイセンは承服した。そのあと私はポーランドで、ロシアへと目を向けた。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_SE_02_Friedland.bik_02 アイラウで激戦が起こり、我が軍は戦慄した。彼らにも相応の損害はあったろうが、それは問題でない。 FALSE
subtitles_subtitle_text_NHB_SE_02_Friedland.bik_03 私は自律せねばならなかった。フランスの―私の栄光を回復させるために。 FALSE
technologies_long_description_admin1_classical_economics \n\n古典派経済学は、国の富が考慮される方法を変えようとします。もはや王室にある金庫の総額が、国の財力を測る唯一の値ではありません。民衆の所得が考慮されるようになったのです。この前進により人々は封権社会を脱し、自分自身のために利益を求める存在になりました。古典派経済学は近代的な経済学の一派である「新古典派経済学」に取って代わられましたが、その影響は未だ残っています。\n\n歴史的には、古典派経済学はスコットランドの哲学者アダム・スミスによって創始されました。その後デヴィッド・リカードにより体系化され、トマス・ロバート・マルサスの穀物法論争のような多くの議論を生むことになりました。この理論が答えようとすることの一つは、どのようにして人間の利益追求システムの上に社会は構築されるのか、ということです。 FALSE
technologies_long_description_admin1_national_debt \n\n王侯は負債を背負うと、大きな銀行や大商人から金を(時には脅してでも)借りました。しかしその負債は個人的なものに過ぎません。国債とは、国がその政策のために借金を行うことです。国は債券を発行し、決められた利率で毎年利息を払い、一定の期間後は債務を返すことを約束します。この単純な考えは流通を促進させ、維持費を下げることによって経済の拡大を容易にします。 \n\nスコットランドの経済思想家であり、実業家であり、博打うちであるジョン・ロー(1671-1729)はフランス王立銀行の設立に深く関与しました。彼は国家財政と交易についての国家的統制を提案しました。またフランス領であったルイジアナ州のミシシッピ流域開発を担保として人々から金を集めましたが、結局彼の計画は破綻し、多くのフランス人が破産しました。ローは失敗したものの、国家を背景とした不換紙幣の考えと、ミリオネア(大富豪)というフランス語を残しています。フランスとナポレオンとの戦費のために、イギリスは国債を広く発行しました。ナポレオンの大陸封鎖令にも関わらず、英国の経済は衰えることなく、英国政府が必要とする莫大な戦費を賄うことが出来ました。 FALSE
technologies_long_description_admin1_public_schooling \n\n教育とは、裕福かつ功名心のある家庭の子女のみが受けるものでした。もともと地位のある支配者階級はほとんど興味がなく、下層階級にとってはパンよりも大切なものではありませんでした。教育には金がかかり、学校は一種の営利企業のようなものだったのです。公立学校とは財産や身分に関わらず教育を提供するもので、これは様々な意味で急進的な考えです。\n\n貧しい人間のために国の資金を使って公教育を与えることに対してヨーロッパの多くの国が拒絶反応を示しました。産業革命の先駆者であるイギリスでは工場で労働している児童の人権と学習権を保障するための工場法がロバート・オウエン(1771-1858)によって提唱され、彼は児童に対する多くの教育の試みを行っています。 FALSE
technologies_long_description_admin2_national_census \n\n人口を把握しておくことは、政府にとって課税の基幹となります。貧しいものから見れば税金はいつも不公平ですが、それはできるだけ『公平に不公平』であらねばならないのです。課税の必要のほかにも、政府が都会から田舎の端々まで人々の動きを観察して、人口の増減を計算し、兵士として働ける男性の数を知っておくことはとても重要です。\n\n国勢調査の起源は古代ローマから始まるといわれ、新約聖書にもその記述があります。ナポレオンが執政であった頃、フランスで行われた国勢調査は成功し、ナポレオンの軍隊のための兵士、また徴税に非常に役立ちました。英国においては、トーマス・マルサス(1766-1834)の人口増加に関する調査がその始まりとされています。彼は人口増加が招く食料不足のため、国家に危機が訪れると予測したのです。1800年の調査の結果、当時の英国の人口はおよそ900万人だということが判明しています。これは同時期のフランスの3分の1程度でしかありませんでした。 FALSE
technologies_long_description_admin3_abolition_of_slavery \n\nアフリカから新大陸への奴隷輸送、またはヨーロッパの輸送船を襲って奴隷として売り払ったバルバリア海賊のような例にせよ、奴隷売買はそれに係わる人々に非常に利益をもたらします。しかし、人間を物品のように所有することへの道徳性と必要性については、宗教的または啓蒙主義的立場から論議されてきました。それは奴隷の売買及び輸送の禁止、または人間の所有の禁止としてです。\n\nしかし歴史的には、奴隷の廃止については決して民衆に歓迎されたわけではありませんでした。ウィリアム・ウィルバーフォース(1759-1833)は、奴隷売買により利益を得ることに激しく反対し、長年に渡って奴隷廃止を運動しました。努力の甲斐あり、イギリスは国内と国外の双方の奴隷売買禁止の法律を制定しました。英国海軍はアフリカからの奴隷の輸送を監視し、イギリスの法廷で「どのような奴隷でも、イギリス本土に入国したものは自由となる」旨の判決が1772年に下されたこともありました。彼は世界で今なお続く奴隷の解放運動に生涯をかけて情熱を傾けました。 FALSE
technologies_long_description_admin3_code_napoleon \n\nナポレオン法典は革命の理想を守るため制定された法典です。しかしそれだけではなく、人民の諸権利とフランスの財産の保護も謳っています。それまでの慣習法、封建法を統一しただけでなく、近代的な自由主義観を取り入れた画期的な民法典となっています。その目的は誰にでも理解できる法律を制定することにより、市民を支配することにありました。\n\nナポレオンはのちに、「後世に私が評価されるとしたら、多くの戦勝でなくこの法典によるだろう」と語っています。1800年に、彼は優秀な法律家に5ヵ月でフランスの法律を作り直すよう命じました。早速4名から成る委員会が作られ、法典作成に着手しました。ナポレオンは精力的に協力し、1804年3月21日にこの法典は『フランス民法典』として施行され、1807年には民法だけでなく商法、刑法、治罪法、民事訴訟法を含めた『ナポレオン法典』という公式名称のもとに改めて公布されました。法典は非フランス語圏を含め他国にも強い影響を与えました。この法典は現在の約70ヶ国の国々での法律の基礎となっています。 FALSE
technologies_long_description_admin3_metric_system \n\n人間社会では古くから様々な度量衡の単位が使われてきました。その根拠は例えば腕の長さであったり、足の長さであったりと多くは人間の体に基づいています。ですがどの単位もが合理性のあるものとは言い難いのも事実でした。1ポンドは16オンスであり、1ハンドレットウェイトが112ポンドであるなどと、いったい誰が決めたのでしょう?メートル法は、長さ、質量、面積、重さ等のために科学的に根拠のある単位で度量衡を統一します。メートル法はあらゆる測定に応用が利き、しかも十進法のため煩雑な計算が必要ありません。\n\n度量衡の統一に関しては様々な試みが行われてきましたが、1790年代のアカデミー・フランセーズの科学者たちによる研究は最も組織化された仕事でした。とはいえフランスでそれまで使われてきた度量衡を改変することには抵抗が多く、メートル法が義務化されたのは1840年になってからのことでした。現代においてはメートル法は多くの国での標準化された単位法ですが、海事においては速度を表すノット、水深を表すファゾムのような古い単位がまだ生きています。 FALSE
technologies_long_description_admin3_trade_unions \n\n革命や自由、平等といった思想がいったん広がりだしたなら、今まで社会的に虐げられてきた者たちが自分たちの権利について考えるのは当然の成り行きといえます。労働者の団結、そして組織化された組合の成長は、飢餓状態ではないにせよ低賃金に喘いでいる労働者たちにとっては当然の行動でした。労働組合は、労働者側に立った立場から雇用主と交渉する能力を与えます。労働者個人を解雇することはできても、組合に加入した全ての労働者を辞めさせることは出来ないからです。 \n\n歴史的には労働組合は多くの支配者階級には脅威とみなされ、違法とされる場合もしばしばありました。1799年に英国で制定された団結禁止法はその典型的な例で、この法律自体は1824年に撤廃されたものの、1833年にトルパドルでの賃金削減に抗議して結成された労働組合が違法な誓約行為を行ったとして有罪が宣告された、いわゆる『トルパドルの殉教者』事件の犠牲者となった6人がオーストラリアに流刑となりました。しかし世論の激しい反発により、1836年に全員に特赦が認められています。 FALSE
technologies_long_description_admin4_dialectics \n\n弁証法は、二つの対立する理論のどちらかを証明、また反証することなく対立を解決しようとする方法です。議論の方法として、それは慎重でよく考察された推論を用います。この方法は自然科学、政治、法律、または人間の一般的な生活にまで応用されることができます。弁証法の概念そのものは古代ギリシアに遡ることが出来ます。しかしこの方法が再発見されたのは啓蒙運動のさなか、自由主義的思想が発達した時代でした。\n\n近代的な弁証法の立場はゲオルク・ヘーゲル(1770-1831)によってもたらされ、哲学の実践的な考えを確立させました。彼は人間が他の人間との心、また自然との複雑な関係を理解するのを助けるための枠組みを示しています。 FALSE
technologies_long_description_admin4_semaphore_lines \n\n腕木通信はどんな郵便よりもはるかに速く、通信網に沿って伝達することができます。通信塔は都市部を除く国内の全域で築かれ、そのため位置によっては隣国からも見えることがありました。 塔の操作員は近隣の塔の信号を望遠鏡で視認し、腕木と呼ばれる可動式の構造物を動かして位置を決め、また隣の塔へ伝えました。腕木の形状による組み合わせで多くの情報を伝達することが可能でした。このやり方で、情報を遠い国境から中央にまで、驚くほどの速度で送ることが出来ました。\n\nこれ以前に用いられた焚火、あるいは狼煙による方法は伝達できる情報量が少ないという欠点がありました。これはその欠点を解消し、また伝達時間も非常に短縮できました。ナポレオンはこの通信網を積極的に推進し、フランス国内で600kmにも及ぶ通信網が構築されました。画期的ではありましたが建設費、維持費が高くつくことから、電信技術の登場とともに急速にその姿を消してしまいました。 FALSE
technologies_long_description_admin5_national_propaganda \n\n新聞、パンフレット、チラシとポスターなどの全てのメディアは、人々に戦争や他国の侵略の脅威、戦場での輝かしい栄光について国民にアピールすることに用いられることができます。 兵士が国家の大義の正しさを信じるならば、軍の士気は戦いにおいて盛んになるかもしれません。 \n\n実際にナポレオンは彼自身の評判を上げたり、国民に支持を訴えるためにメディアを利用する名人でした。 当時パリで発行されていたフランス官報や他の新聞は、あらゆる機会で英国を信頼できないとする主張を繰り返し述べました。奇妙にも、イギリスの新聞がその行為に報いるため彼の評判を非難したとき、ナポレオンは激怒して、宣戦するために十分な問題であると思ったようでした。彼はイギリスの新聞というものは伝統的に権力者に対して辛辣で、摂政王太子であったジョージ4世に対しても、その素行の悪さから「プリニー」と呼んで嘲っていたことを知らなかったのです。現在も、その傾向は変わってはいないようではあります。 FALSE
technologies_long_description_admin5_passports \n\n身分を保証されていない旅人は旅を続けることが出来ません。そして、政府は国民をコントロールする方法として、身分証を携帯させることを義務付けることが出来ます。また旅券とそれに記載されている記録記事は、多くの疑わしい外国人を監視するのに役立ちます。「パスポート」という言葉は、港ではなく都市の城門を出入りするのに必要な権利のことを指していました。\n\n近代的な旅券の発明者はイングランド王のヘンリー5世で、彼は信頼できる人間に『安全通行書』と呼んだ証書を授けていました。これはそれを持っている人間が他国の領土を踏んだときにも便宜を図るよう求めたものです。旅券は身分を保証し、旅行者が安全に通行できるよう様々な国で使用されることになりました。多くの大使館は外国でトラブルを抱えた自国民を手助けするために彼らの時間と費用を使っています。また旅券の保持者に対する安全の保証は、時には軍事力を背景にすることもありました。 FALSE