battle_script_strings_string_CreativeAssembly.HB_Waterloo_Well_Battle_Lost	今日という日はイギリスとヨーロッパにとって暗闇に満ちた日です。ボナパルトが栄光を得ました。ですが彼は止められねばなりません!	False
battle_script_strings_string_CreativeAssembly.HB_Waterloo_Well_Battle_Won	私は、大変結構!と、言います。彼らはいつものように来て、我らはいつものように勝ったのです	False
battle_script_strings_string_CreativeAssembly.HB_Waterloo_Well_Intro_1	私は、ブリュッセル道、ワーテルローの南に布陣することにした。昨日の雨にもかかわらず、奴らは来るようだ。	False
battle_script_strings_string_CreativeAssembly.HB_Waterloo_Well_Intro_2	コルシカ人の砲撃に対処するため軍隊の主力は坂の裏側に配置した。	False
battle_script_strings_string_CreativeAssembly.HB_Waterloo_Well_Intro_3	残りの部隊は右翼のウーグモンに共に配置した。その前面には猟兵を隠してある。	False
battle_script_strings_string_CreativeAssembly.HB_Waterloo_Well_Intro_4	ラ・エイ・サントが中央にあり、そして・・・	False
battle_script_strings_string_CreativeAssembly.HB_Waterloo_Well_Intro_5	左翼には死守されるべきパペロットがある!	False
battle_script_strings_string_CreativeAssembly.HB_Waterloo_Well_Intro_6	いつものようにあの男は強力な砲を右翼に配置しており…	False
battle_script_strings_string_CreativeAssembly.HB_Waterloo_Well_Intro_7	そして堅固で強力な親衛隊をラ・ベル・アリアンスの後ろに配置した。	False
battle_script_strings_string_CreativeAssembly.HB_Waterloo_Well_Intro_8	私はブリュッヒャーが約束を守ることを知っている。彼は来る。が、それまでびしょぬれの私の兵は持ちこたえねばならない。神のご加護があらんことを!	False
battles_description_NHB_Waterloo_Well	Tワーテルローの戦い(1815年6月18日)ナポレオンは英蘭同盟が守る陣地、ワーテルロー、に進む時点ですでに戦役全体での勝利を感じていた。プロイセン軍は敗走し、フランスの部隊による追撃を受けていた。ウェリントンのみが残っている敵であった。フランスは勝利し、不死鳥のように帝国は灰よりよみがえるであろう。が、歴史書はしばし過去の反復で終わらないことがある…	False  
battles_localised_name_NHB_Waterloo_Well	ワーテルローの戦い(グレートブリテン)	False
pdlc_description_pdlc_imperial_guard_pack	このDLCは新しい6つのナポレオン時代の精鋭部隊とウェリントン視点のワーテルローの戦いを追加します。新しい部隊はそれぞれ異なった能力を持っており、シングルとマルチ両者にて使用することが可能です。	False
subtitles_subtitle_text_WEL_Waterloo.bik_01	ナポレオンはまらないように見える。彼の軍は我らを楽々と押しのける	False  
subtitles_subtitle_text_WEL_Waterloo.bik_02	我らは敗走にて少ししか休息を得られなかった	False  
subtitles_subtitle_text_WEL_Waterloo.bik_03	だが、ここで我らは立ち止まる	False  
subtitles_subtitle_text_WEL_Waterloo.bik_04	ナポレオンは押しのけた、がそれ以上は許されない	False  
subtitles_subtitle_text_WEL_Waterloo.bik_05	ロンドン市民はここでナポレオンと戦ったものに誇りを抱くだろう	False  
subtitles_subtitle_text_WEL_Waterloo.bik_06	ここ、ワーテルローにて	False  
unit_description_texts_description_text_Cav_Heavy_French_Empress_Dragoons	皇帝妃竜騎兵は精鋭皇帝親衛隊の中の精鋭部隊で、非常に効果的な重騎兵部隊です。	False
unit_description_texts_description_text_Cav_Lancer_French_Dutch_Guard_Lancers	誇り高い騎兵である、オランダ人親衛軽槍騎兵は高速移動し、突撃時において強力です。	False
unit_description_texts_description_text_Cav_Lancer_French_Polish_Guard_Lancers	ポーランド人親衛軽槍騎兵は恐ろしく、電光石火の如く高速な突撃を行います。	False
unit_description_texts_description_text_Cav_Light_French_Guard_Chasseurs_a_Cheval	親衛猟騎兵は優れた騎兵で、接近戦と遠距離射撃戦に秀でています。	False
unit_description_texts_description_text_Inf_Elite_French_Dutch_Grenadiers	訓練された精鋭部隊であるオランダ人擲弾兵は マスケット銃と接近戦での銃剣の扱いに熟達しています。	False
unit_description_texts_description_text_Inf_Elite_French_Guard_Seamen	訓練されており、どんな事にも準備ができている親衛海兵隊は、あらゆる意味で精鋭部隊です。	False
unit_description_texts_long_description_text_Cav_Heavy_French_Empress_Dragoons	\n\n彼らの突撃はほぼ対抗できないほどのもので、重い騎兵用の剣で接近戦で効果的に 戦うことができますが、歩兵の方陣に対して投入されるべきではありません。 他の騎兵相手でさえ、彼らはとても堂々と振舞うことができます。しかしながら、 彼らは比較的低速なので、敗走する敵を追撃するのに使用されるべきではありません。 必要ならば、皇帝妃竜騎兵は騎兵用マスケット銃を使って徒歩で戦うことができますが、 歩兵部隊としては特に効果的ではありません。\n\nナポレオン配下の皇帝親衛隊は、徐々にほとんど個別の軍隊になりました。 歩兵、砲兵と騎兵部隊を持ち、すでに精鋭親衛隊である中でさらに独自の精鋭部隊さえも 持っていました。誉れ高きジョセフィーヌ・ド・ボアルネにちなんで名づけられた、 皇帝妃竜騎兵は誰がどう見ても精鋭部隊です。全ての士官はナポレオンによって個人的に 任命され、兵卒は入隊を許される前に最低10年騎兵任務に就いている必要がありました。 フランス軍の全ての戦列猟兵と戦列竜騎兵連隊はその最高の下士官達を引き抜かれました。 これにより、疑いもなく皇帝妃竜騎兵は最高の中の最高の兵士達から成る部隊と なったのですが、元の部隊から同じ熟練兵達が居なくなったので、 他の軍部隊にとっては確実にかなりの損害になりました。	False
unit_description_texts_long_description_text_Cav_Lancer_French_Dutch_Guard_Lancers	\n\n槍を提げて戦闘に乗り込むよう訓練されたこれらの見事な騎兵達は、 突撃部隊として理想的です。衝突の瞬間は彼らの攻撃の真価です。 彼らは敵を突き崩すか、もしくは撤退して再突撃します。 彼らの軍馬は高速なので、戦場の重要地点にとても迅速に移動できます。 士気は極めて高いですが、長時間の接近戦に適した装備をしていません。 接近戦では槍騎兵は不利になります。 方陣を組んだ精鋭歩兵相手では、もちろん、彼らの槍術はほとんど役に立ちません。\n\n元はユサール騎兵連隊として組織されたのですが、1810年9月223日に出された勅命により 槍騎兵部隊に改編されました。彼らの最初の試練は、見かけは扱いにくいですが、 致命的な威力を持つ槍をどうやって扱うか学ぶことでした。 幾人かの士官が、必須である槍術の訓練を受ける為にポーランド人槍騎兵の シャンティイ兵舎に送られました。 そして、彼らはベルサイユに居る連隊の他の兵士達に、新しく身に着けた知識を伝えました。 新しい親衛槍騎兵の再編成の結果、大量の制服の変更で極めて高い費用がかかりました。 陸軍大臣がナポレオンに直々に、兵士達の新しい制服の為の更なる出費を 請わねばならなかったのです!	False
unit_description_texts_long_description_text_Cav_Lancer_French_Polish_Guard_Lancers	\n\n槍を構えて戦闘に突進する様訓練された、これらの素晴らしい騎兵達は理想的な突撃部隊です。 彼らの軍馬は高速なので、戦場の重要地点にあっという間に移動できます。 これらの勇敢な兵士達の士気は比類ないほど高いですが、 長時間の白兵戦に捕らわれてしまうと、接近戦での弱さがあらわになります。 方陣を組んだ精鋭歩兵相手に使用してしまうと、 彼らの突撃と槍の技術はほとんど無駄になってしまいます。\n\nポーランド人親衛軽槍騎兵は、元々は1807年にワルシャワへ向かったナポレオンに 同行したポーランド人亡命貴族の一団から組織されました。 ナポレオンはこれらの兵士達の忠誠心にとても感銘を受け、 新しい連隊は彼の皇帝親衛隊に加えると言い張りました。 その当時、連隊への候補は18歳から40歳のポーランド人地主でなければならず、 自分で馬と装備を揃えることが期待されていました。 槍がこれらの兵士達の標準装備とされたのは、1809年のワグラムの戦いが初めてでした。 1814年にナポレオンがエルバ島に追放された時、 150人のポーランド人親衛軽槍騎兵の忠臣達が、監獄へ向かう彼らの皇帝について行きました。	False
unit_description_texts_long_description_text_Cav_Light_French_Guard_Chasseurs_a_Cheval	\n\nこれらの軽騎兵は剣と騎兵用マスケット銃を装備していますが、 敵に突撃することは期待されていません。 代わりに彼らは敵の作戦を混乱させ、敗走する敵を追撃します。 彼らは、例えば、散兵と砲兵相手に驚く程効果的です。 彼らの馬は高い持久力を持ち、高速です、 馬なしの騎兵は、全くもって本当に役に立たないのです。 より重装備の騎兵と良く訓練された歩兵の方陣に対すると脆弱ですが、 彼らは乗馬したたまま騎兵用マスケット銃を発砲できます。\n\nナポレオンに最も親密な近衛部隊である親衛猟騎兵は、 イタリア北部の戦場でナポレオンが組織した”道案内”部隊に起源を持っています。 1800年に連隊が公式に設立された時、部隊は全員、道案内部隊と他のイタリア戦役の 熟練兵から選ばれた4人の将校と113人の兵卒から成っていました。 ナポレオンの彼の連隊への敬意は明らかで、 良く猟兵の緑色の平常軍装を着ている姿が見られました。 これらの兵士達はアルコレからワーテルローまでナポレオンに従い、 彼の追放時さえも忠誠を保ちました。 皇帝がついに退位し、復権したブルボン朝に仕えることに 同意した猟兵はほとんど居ませんでした。	False
unit_description_texts_long_description_text_Inf_Elite_French_Dutch_Grenadiers	\n\nオランダ人擲弾兵は自分たちを精鋭と見なしており、 パレードでは名誉な隊列の右側を占めます。 彼らの本来備わっている価値観は、他の兵士達を鼓舞したり、 徐々に誇りを教え込むのに役立ちます。 彼らは驚く程訓練されており、息を呑むような速さで武器を装填し、 比較的良い精度で発射することができます。 広範囲にわたる訓練により彼らは他の歩兵部隊を組織するよりもより高価ですが、 全ての歩兵と同じように、重騎兵と散兵と対するときは細心の注意を払わねばなりません。\n\n1810年のオランダ併合に続いて、オランダ人擲弾兵はナポレオン軍に加わりました。 その当時は彼らはオランダ王室擲弾兵で、 この連隊の兵士達は1810年8月にパリに入りました。 ナポレオンは自身でこの兵士達を閲兵し、彼らの素晴らしい容貌に感嘆しました。 彼らは他の古参連隊が着用していた伝統的な暗い青色のかわりに、 赤いへりをつけた白いコートを着ていました。(後に他の部隊も白いコートを着ましたが、 これはイギリス軍の封鎖が染料の補給に影響したためでした。) しかし近衛擲弾兵は彼らに感心しませんでした。 この2つの連隊の最初の会合は暴動に近い状態で終わりました。 彼らの行動はとても恐ろしいものだったので、 彼らは自分たちの乱暴さと酒乱について公衆の面前で謝罪させられました。	False
unit_description_texts_long_description_text_Inf_Elite_French_Guard_Seamen	\n\n親衛海兵隊の隊列はフランス軍が保有している最も良い兵士達で埋まっています。 とても高い身長と品行方正さと忠誠心で選抜されたこれらの兵士達は 素晴らしい士気を持ち、近くの味方部隊の士気に良い影響を与えます。 彼らの規律は模範的で、マスケット銃の装填速度と精度は多く兵士達の羨望の的です。 しかし彼らも幾つか弱点を持っており、広範囲にわたる訓練と修練によりほとんどの 歩兵部隊よりも高価で、マスケット銃の射程外に居る砲兵と散兵に対しては分が悪いです。\n\n歴史的には、親衛海兵隊はナポレオンの勅令により組織されました。 元々彼らは計画されていたイギリス侵攻に参加するはずだったのですが、 その作戦が中止されると、彼らは皇帝親衛隊に加わりました。 わずか数年でこれらの兵士達は広範囲にわたる技術を身につけたので、 彼らは皇帝にとって不可欠な存在になりました。 ”彼らが水兵、歩兵、砲兵または工兵としての価値を同様に証明することが 求められた時でも、彼らが引き受けることが出来ない任務はなかっただろう。” とナポレオンは述べています。	False
units_on_screen_name_Cav_Heavy_French_Empress_Dragoons	皇帝妃竜騎兵	False
units_on_screen_name_Cav_Lancer_French_Dutch_Guard_Lancers	オランダ人親衛軽槍騎兵	False
units_on_screen_name_Cav_Lancer_French_Polish_Guard_Lancers	ポーランド人親衛軽槍騎兵	False
units_on_screen_name_Cav_Light_French_Guard_Chasseurs_a_Cheval	親衛猟騎兵	False
units_on_screen_name_Inf_Elite_French_Dutch_Grenadiers	オランダ人擲弾兵	False
units_on_screen_name_Inf_Elite_French_Guard_Seamen	親衛海兵隊	False